東京高等裁判所 昭和59年(ラ)103号 決定 1984年6月20日
抗告人 渡瀬徳二郎
相手方 堀田雪子
主文
本件抗告を棄却する。
理由
一 本件抗告の趣旨及び理由は、別紙即時抗告状記載のとおりである。
二 相続財産分離制度は、相続財産と相続人固有財産との混合によつて相続債権者又は相続人の債権者の債権回収上不利益が生ずるのを防止するための手段であるから、その趣旨に照らし、家庭裁判所は相続財産分離の請求があつたときは、右の意味における財産分離の必要性がある場合に限りこれを命ずる審判をなすべきものと解するのが相当であるところ、本件の場合、右必要があるとは認められない。これについての理由は、原審判の理由説示と同一であるから、これをここに引用する。
二 してみると、本件抗告は、理由がないから、これを棄却することとし、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 小堀勇 裁判官 吉野衛 山崎健二)
即時抗告の趣旨
一、原審判を取消す
二、別紙記載の土地を即時抗告被申立人の財産の中から分離する
との決定を求める
即時抗告の理由
一、原審判は法律の解釈適用に誤りがあるので取消しを免れないものである。
即ち原審判は申立却下の理由として
「相続財産分離の請求があれば裁判所は分離の必要があるか否かを判断し得ず必ず分離をしなければならないとの見解があるが当裁判所は右見解に従うことができず分離の必要性のある場合に限つて分離命令を発することができるものと解する。
而してここに分離の必要性がある場合というのは相続財産が相続人の財産と混合するときは弁済を受けられなくなる場合であつて例えば相続人が既に債務超過の状態にあり或いは将来債務超過となる虞れがある等の場合をいう。所で観念的には相続人は常に将来債務超過となる虞れがあると考えられなくはないが、このように解することは適当でなく具体的に個々の場合についてその必要性を判断すべきであつて相続人が将来債務超過とならないことが一応の確からしさを以て認められる場合には分離の必要性がないと解すべきである」
と謂うのである。
二、右の論は所謂「裁量説」に組みするものと見られるが裁量論者の論拠とする所は
(一) 財産分離制度は相続債権者等の利益の保護を目的とするから利益を侵害される虞れがなければ分離命令を出さねばならぬ根拠が見出し難い
(二) 分離によつて第三者等に及ぼす影響も少くない。
(三) 相続債権者等による濫用の弊も考えられる。
(四) 民法は債務超過を要件とはしていないが又積極的規定もない。従つて明示された要件以外の一切についての判断を裁判所に委ねたものと解することも可能である。
(五) 民法九四九条(財産分離請求の阻止)があつても裁判所の裁量権迄排除するものとは考えられない。
(六) 財産分離をしなくても相続債権の弁済につき何等影響を与える虞れのない場合は分離は許されない。
と説くが相続債権者外の相続人及第三者への影響被害の救済の為の傾向があり杞憂の論が多く実害を挙げていない。分離制度の内容が合理的で存在価値があるものであるから制度設定の趣旨により解釈するを至当と考えられる。
そこで裁量論者の中にも
(七) 相続債権者等の利益保護はかなり積極的態度で行わるべく相続債権の安定度が極めて高くない限り分離の必要性ありとするべきだとの論もあるのである。
三、元来分離自体相続人に損害を与えるものではない。相続財産は相続債権者が被相続人から弁済を受けるに付当てにしたものであるに対し相続人に取つては被相続人の死亡によつて棚ボタ式の収入であるからである。その先祖伝来の家宝とかで個人的理由で必要なら相続債権者に自らの固有財産を提供して財産分離の請求を阻止も出来る(民九四九本文)併し此の弁済は元来相続財産から賄われるべきもので相続人に何等実質的損害を与えるものではない却て相続人の債権者が損害を受けることを証明して異議を述べた時は阻止は出来ない(民九四九但書)程度のものであるから裁量論の根拠とはなり得ない。
四、裁量論の欠点は分離請求があつた時債権の確定を措き必要性調査の為に時間や労力を費やし必要性なしと判断した場合債権の清算を徒らに後日に引延すに過ぎないことである。
其処で財産分離の制度が認められた趣旨はどうであるかと云うに民法上相続人が限定承認、放棄をしなければ相続財産は相続人の固有財産と混合するから被相続人の債権者であつた相続債権者受遺者は相続財産の外相続人の固有財産から弁済を受けられるし相続人の債権者も相続人の固有財産および相続財産の双方から弁済を受けられることになるわけである。所が相続財産よりも相続人の固有財産が債務超過の場合は相続債権者受遺者が原則として不利益をうけ逆の場合は相続人および相続人の債権者が原則として不利益な立場となる。後の場合には相続人は限定承認や放棄によつて自己の立場を保全する手段が与えられているがその制度を利用するか否かは相続人の自由であり相続人の債権者はこれを促す手段がない。このように相続人は自己の利害を自身で自由に選択出来るのに対して相続債権者受遺者および相続人の債権者に夫れ夫れ自分の手でその利益を保護する手段が与えられねばならないからであつて財産分離制度は衡平の原則から出来たものである。従つて債権者が相続財産の中から相続財産を分離する事を裁判所に請求することが出来ることにされたのである。
五、又他面債権取得に当り殆んど相手たる債務者の人的物的信用を基礎とした人が誠実に債務を履行してくれることを期待して行うが債務者の死亡とか相続人の信用迄は計算に入れてないのが普通である。夫れで債務者が死亡した場合一区切りとして清算しようと考える一般常識が取り入れられ債権者保護の為の財産分離制度が設けられたもので相続財産を特別財団として分離し結局相続をめぐる財産関係の早期安定を図り取引の安全を確保しようとする趣旨にも出たものである。
六、更に原審判は相続財産分離の必要性がないことの理由として、
「相手方は夫慎とともに農業を営みこれによる年収金二〇〇万円を得て居りこの外にその出稼ぎ収入年金八〇万円を得て相当の生活程度を維持しているものであつて他に債務も存在しないし将来とも他から債務を負わなければならない事由のないことを認めることができる右認定事実によれば申立人主張の債権の存否を判断するまでもなく本件財産分離の必要性はないものと解するのが相当である。」
としている。
所が相手方両名の年間収入は二八〇万円で子女を擁し相当程度の生活を維持している以上生活費は相当費つているものと思われるが茲では節約計算で年間生活費を差引き余剰は半額金一四〇万円を超えることは覚付かない。
然るに即時抗告人の債権丈でも元金五四〇万円及未払利子四五〇万円を超え利率は年一〇・二%で年間五五万円であり現在では未払利子丈でも五〇〇万円を超えている。今後他から債務を負わぬとしても本件を誠実に弁済する丈でも他より借金する外はない状態である。
従つて相手方は被相続人から引継いだ遺産を維持する能力がないことは計算上明白で現在相続財産を分離し被相続人時代の債務は遺産で清算しても法律の趣旨に適合するもので本件の具体的事件に限つても裁量説は適当でないことが判る訳である。
物件目録及び請求債権目録<省略>
原審(前橋家 昭五八(家)九九号 昭五九・二・一五審判)
主文
本件申立を却下する。
事実及び理由
一 申立人は「別紙物件目録記載の土地を相手方の財産の中から分離する」との審判を求め、その理由として
1 被相続人堀田宇一は昭和五三年八月四日死亡し、相手方及び堀田慎は亡堀田宇一の相続人である。(相続分各二分の一)
2 被相続人堀田宇一は申立人より
(一) 昭和四九年一月七日金五〇〇万円
(二) 同五〇年四月三〇日金五八〇万円
を、弁済期日は(一)につき同四九年一月三一日(二)につき同五一年一月一三日とし、利息は申立人が○○農業協同組合より借受けこれを右貸金に廻す関係上申立人が同組合に支払う金額と同一の約で借受けたが、右宇一は元利金とも支払に至らざるうち前記日時に死亡した。
3 亡宇一の右債務は昭和五八年四月七日現在別紙債権目録記載のとおりである。
4 而して相続人の財産のうち、相手方が被相続人宇一から相続した別紙物件目録記載の物件は相続人の固有財産と混合していないので右未払金の支払のため相続財産の分離を求めると述べた。
二 当裁判所の判断
相続財産分離の請求があれば裁判所は分離の必要があるか否かを判断しえず、必ず分離をしなければならないとの見解があるが、当裁判所は右見解に従うことができず、分離の必要性のある場合に限つて分離命令を発することができるものと解する。
而してここに分離の必要性がある場合というのは、相続財産が相続人の財産と混合するときは弁済を受けられなくなる場合であつて例えば相続人が既に債務超過の状態にあり、或いは将来債務超過となる虞れがある等の場合をいう。所で観念的には相続人は常に将来債務超過となる虞れがあると考えられなくはないが、このように解することは適当でなく具体的に個々の場合についてその必要性を判断すべきであつて相続人が将来債務超過とならないことが一応の確からしさを以て認められる場合には分離の必要性がないと解すべきである。
本件記録(殊に申立人・相手方の各審問結果)及び昭和五七年家第四六六号事件の記録を綜合すると被相続人堀田宇一が申立人主張の日時に死亡し、相手方及びその夫慎が相続人であること(相続分二分の一)、相手方が別紙物件目録記載の物件を相続したことを認めることができる。
次に相続財産分離の必要性について考えるに、前記各記録を綜合すれば相手方は夫慎とともに農業を営み、これによる年収金二〇〇万円を得て居り、この外に相手方夫慎は出稼ぎ収入年金八〇万円を得て、相当の生活程度を維持しているものであつて他に債務も存在しないし、将来とも他から債務を負わなければならない事由のないことを認めることができる。右認定事実によれば、申立人主張の債権の存否を判断するまでもなく、本件財産分離の必要性はないものと解するのが相当である。よつて申立人の本件申立を却下することとし主文のとおり審判する。